石田 浩氏
――情報産業にかかわる一九五〇年代のことを知りませんか。
という筆者の問いかけに、
「ヒントを教えてあげましょう」
と言ってくれた人もいた。
石田浩氏もそうした人の1人である。
同氏には社団法人情報サービス産業協会の国際部として、しばしば取材させてもらった。協会事務局を退いた現在は、埼玉県で暮らしながら、ソフト関連企業の顧問を務めている。
「まず、戦前にあった日本ワットソンという会社を調べるといい。そこに水品さんとか、島村さんとかがいて、そういう人たちが戦後、企業経営手法を啓蒙し、コンピューターの利用を広げたんですよ」
と同氏は言った。
「水品さん」は日本IBMの第2代社長、「島村さん」は日本ビジネスの創業者―という程度の予備知識はあった。
「戦後、GHQが日本人の経営者や管理者を養成したとき、島村さんたちが講師をやったんです」
そのことは知らなかった。
「パンチカード・システムのことは知ってるよね」
――言葉だけは。
「ま、いいや。戦後間もないころ、PCSを使うということは、経営の近代化、民主化を意味していてね。つまり会計や在庫、原価を計数的に管理しようということだった」
そういう考え方は戦前はなかった。
「算盤と帳簿だもの。統計を作って経営を分析するなんていう発想は戦後ですよ。そのために会計処理の方法とか、経営や組織の運営、業務改善の手法を、占領軍は日本人を使って日本の企業に教えたんですよ」
なぜ、そういうことを知っているのかと尋ねると、
「だって、わたしはその授業を受けた1人だもの」
という答えが返ってきた。石田氏当人が、歴史の証言者だったのである。
改めて連絡を取ると、石田氏は
「わたしなんか、インタビューしてもつまらないよ」
と謙遜して言った。
「そこを何とか」
と強引に面談の時間を取ってもらった。
「どういういきさつで占領軍と付き合うようになったんですか」
と尋ねるると、
「カイザー田中という人を知っているかね?」
と石田氏は言った。
以下は、石田氏の談話をもとに、筆者の調査を加えたものだが――。
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